わらべうたの会について
わらべうたは文化です。子育ての知恵がたくさん詰まった宝物ですし、人類の歴史です。
わらべうたの会では、その事が大前提の上で、わらべうたを生きたものにするために、あえて伝えられたものをそのまま歌うのではなく、場合によっては子どもの発達段階や要求に合わせ一部分だけを使ったり、遊び方をアレンジします。あえて愛情と勇気をもってわらべうたを切り刻み、こどもに合わせて調理し提供します。
その裏付けとして、自信を持ってこどもたちと向き合えるために、文化、発達、心理学、教育法についても学びあいます。
参加者は、こどもに関わる仕事をされている人たちがほとんどでしたが、子育てをしているお母さん、孫に歌ってあげたいと言われる大人の方の参加も増えてきています。
「わらべうたの会」ができるまで
私の出発点は、私の大好きな音楽の素晴らしさをこどもたちに伝えようと音楽教室を始めたことです。そこで、多くの才能のあるこどもたちと出会いました。そのこどもたちをコンクールに出場させたり、音楽会出演のオーディションを受けたり、音楽大学受験させることで日々過ごしていました。
そこで、こどもたちの音楽好きであることや努力とは別に、その子の音楽との出会いが重要であることに気づきました。
音楽教室に入会するこどもで、コンクールを受けたいというこどもは、どの子も音楽好きであることや努力する覚悟のあるこどもです。それに、家族のサポートもあります。
しかし、努力が実を結び結果を出すこどもと、同じように、いや、それ以上に努力するのに結果が伴わない子がいるのです。どうして結果が違うのか?それは、音楽教室に来る以前、乳児期に親しい人と歌い遊ぶ経験が有るか無いかが大きく関係しています。
この気づきから、まず最初に、原因を結果が出せなかった親子に中にぶつけるのではなく「私はなぜ音楽教室をしようと思ったのか」というが原点に立ち返り、私にできることを探すことにしました。
なぜなら、楽しく歌い遊ぶ経験のなかった親子に「なぜ、歌って遊ばなかったのか」という言葉をぶつけても、人を傷つけるだけで、何も生まれないと思ったからです。
その後、主だった音楽の教育法の本を読んだり、見学をしたり、セミナーに参加したり、通信教育で保育士の資格を取ったり…その中で一番自分の中に響いたのは「コダーイ」という人の『うたはみんなのもの』という考え方でした。音楽は能力のある人もない人も、裕福な人もそうでない人も、等しく楽しめるものです。また、完成度を競うだけでなく、辛い時や悲しい時そっと寄り添い慰めたり励ましたりしてくれて、嬉しい時は一緒に喜んでくれる親友のような存在であるはずなのです。
そして、「わらべうた」という文字に、幼い頃歌ってもらったわらべうたの記憶がよみがえりました。親だけではなく近隣の大きなこどもや大人、時には通りがかりの知らない人が遊びを教えてくれることもありました。今でも覚えていますが、「れんげつもか、はなつもか、ことしのレンゲはよーさいた…」という歌です。どの大人もとてもいいタイミングで遊んでくれました。中にはくだらない歌もたくさんありましたが、たのしくて、そして、遊んだ後は必ず元気になりました。後年、小説や文楽、歌舞伎の古典芸能の中にもわらべうたや語呂合わせを見出した時にも嬉しくなりました。わらべうたが敷居の高そうな伝統芸能を身近なものにしてくれました。
わらべうたが心と頭と体を育てること、歌が人を励まし支えること、伝統芸能の入口へ導いてくれたことを音楽教室のこども達だけでなく、もっと多くのこども達とこどもに関わる大人に伝えようと思い「わらべうたの会」の前身「わらべうたを学ぶ会」を立ち上げました。最初は、やはり出版されているものを元にその通りに歌い遊ぶことをしていました。今はより多くのこども達が楽しめるように、こども達の助けになるような遊び方に重きを置いて活動しています。そして、子どもだけではなく、子どもに関わる大人にとっても”癒し”の効果がある方法を追求する、これが今の「わらべうたの会」です。
「わらべうたの会」でのわらべうたについての考え方
わらべうたを取り上げている著作や講座はたくさんあります。わらべうたをどのように歌い遊ぶのかという方法もいろいろあるようです。ここでは私たちの考え方を書きます。
前に述べたように、音楽教育から出発はしましたが、私を音楽へ導いてくれた周りの大人から受けた楽しさ、喜び、優しさ、爽快さ、と素晴らしいものに憧れる気持を何よりも伝えたいと思っています。ですから、音の正確さは二の次です。まずは楽しいこと!目の前の子供が喜んだり、元気になったりが一番大切です。こどもが楽しい遊びの国へ1歩踏み入ったら楽しく意味のある遊びを提供します。”意味のある”とは成長や発達に役立つものという意味です。こどもたちに、こどもたち自身の可能性を遊びの中で実感できる場面をできる限り自然に作り出します。
”音を正確に”どころか”わらべうた”さえ歌わない場合もあります。気になるこども、クラスの中でうまくいかない場合にどんなわらべうたで遊べるのか、どんな援助ができるのか知恵を出し合います。
わらべうたを「離乳食」のように用います。
0歳児や成長のゆっくりの子の好きな動きに合わせて、その動きに合ったフシ(短いメロディーやリズムを伴った言葉)を歌ってあげると、こどもは嬉しくなってその動きを続けます。”短いフシ”を即興で作ってもいいけど、ふれあい遊びや子守唄と言われるちょっと長い歌などの部分から切り取って使います。
こどもの成長を助ける遊びについて考えます。
ただ、おもしろおかしい遊びをすることも時には大切です。同じ楽しい遊びなら、遊んだ後に表情が良くなったり、動作が安定したり、空間の認知が進んだり、社会性が高まったりできる遊びを取り上げます。誤解のないようにも仕上げますが、全て遊びの中で楽しく行います。なぜなら、良い感情とともに身につけたことはしっかり身につくからです。
就学前のこどもの成長では身体面だけでなく”価値観”も大切です。今後の生き方に関わることを勝ったり負けたりの遊びの中で体験し振る舞いを身につけます。遊びの中で大人のアドバイスが必要な場面が出てきます。適切なアドバイスとはどういうものかについても意見を出し合います。
レパートリーの”広さ”より”深さ”を追求します。
ここで”広さ”はしっている歌の”数”で、”深さ”は1つの歌で遊べるパターンの”数”です。
本に書かれている遊び方以外にも工夫次第で遊びを楽しむことはできます。遊びをアレンジする力を身につけることは少ないレパートリーを最大限に生かすことができます。1つの歌を十分に遊べるようになってから次の歌を覚えたらいいのではないかと思います。
こどもも、新しい歌をどんどん覚えて歌うこどもばかりではありません。動きやルールが少し難しいと、歌わずに動きだけする子もいます。その子にとっては歌も動きも新しいものになるのはとてもしんどいことなのです。同じ歌で遊び方を少しずつ、薄紙をはがすように難しくしていく方がクラス全体で落ち着いて遊べます。
遊び方やルールを変える時は歌を変えない、歌を新しいものにする時は手をつないで振るだけとか、体の部分を叩きながらとか、手を叩きながら歩くなど、簡単な動作にすると楽しめます。他の子が歌う歌に合わせて動くことはCDなどに合わせて動くことと変わりがなく、わらべうたをする効果が半減されます。自分で歌って自分で動くところがわらべうたの大切なところです。歌いながら体を動かすことは脳トレになると言われていますし、こどもの自立させることの助けになります。
手作りおもちゃについての情報提供があります。
心を伝えるにはどんな方法があるでしょうか?丁寧に作られた手作りおもちゃから「あなたのことを大切に思っていますよ」という気持ちを感じ取ってくれます。
こども達は、手触りのいいもの、時間と手をかけたものを喜びます。高価なものでなくても心のこもったおもちゃのある部屋はとても居心地のいい空間になります。その空間には、お迎えに来た父兄も癒されます。そして、手作りおもちゃで落ち着いて楽しく遊ぶ我が子の様子から気づかれることも多いようです。
大人がおもちゃで少し遊んで見せたら、その後は自分なりの遊び方で遊びます。時々、遊んで見せる遊びのヒントでこども達もどんどん遊べるようになっていきます。
確かにおもちゃを作るのに時間と手間がかかりますが、夢中になって遊んだり、大切に使うこども達の姿に感動し、次は何を作ろうかという気持ちになります。
ホームのページにアドレスを書いていますのでご覧頂いたらどんなおもちゃかお分かり頂けると思います。わらべうたの会に参加されるときに、事前にご連絡頂いて、型紙等があるものに関しては提供いたします。おもちゃ作成の相談にも出来る限りですが、協力させていただいています。
わらべうたの会として思ったより、”手作りおもちゃ”の反響は大きいので、改めて、手作りおもちゃのHPのアドレスをここにも記します。興味のおありの方は、アドレスを直接入力で検索にされるか、アドレスをコピー&ペーストで検索に貼り付けていただければと思います。よろしくお願いいたします。
https://konkon3.jimdo.com
https://konkon4.jimdo.com
https://konkon5.jimdo.com
です。
※わらべうたの会は、わらべうたを取り入れてみたいが、難しく感じている方に「あーこれでいいんだ」と思っていただけるように。こども達の助けになりますように。家庭での子育てや保育で楽しい場面が増える事を追求しています。
※わらべうたの会を始めた頃と比べて、現場で子どもや保護者を「援助」が必要な場面が増えています。その解決策に特効薬はありません。
大人の「子どもへの思い」や「寄り添う」ことに加えて状況を分析できる力があって、それに対して問題解決するアイデアをたくさん持つことが必要です。
わらべうたに関する本もいっぱい出ていますが、それをどう現場でどう実行していくか?
「わらべうた」はピアノを弾いて歌を歌わせる「音楽遊び」より、行う人の個性がはっきり出ます。そこが怖くもあるけど一番の魅力です。なので、正しいことを追求するあまり、行う人の個性を殺しては何もなりません。
わらべうたあそびに参加する全ての人の個性がぶつかり合うと1+1が2ではなく3にも4にもなりることがあります。いつもそうは行きませんが、上手くいっても行かなくても、それが次への「気づき」になります。その全ての経験はその人だけの「宝物」です。
特効薬はなくてもわらべうたから得た「宝物」を一つ一つ増やすことが、その人らしい問題解決へ導いてくれます。
何十年もたって初めて気づくこと
本当にありがたくも申し訳なくも思うことですが、私を取り巻く親族や通りがかりにちょっと遊んでくれた見ず知らずの大人(あかの他人)、すべての人に感謝しています。その経験から、人が育つには、親だけではなく、親族だけではなく、善良なあかの他人の力が必要です。
私の活動はこの「あかの他人」に当てはまると思っています。関わってくれた親族やあかの他人は、これに対する見返りなど子どもに求めません。そして、この活動を通じて初めて気づいたことですが、その見返りはたっぷりありました。わらべうた遊びをした子どものキラキラ輝く表情は、私も幸せにしてくれます。
親子のわらべうたで、親たちに子どもを抱っこしてもらって、子どもの背中を撫ぜ撫ぜしながら子守唄を何度も歌った時ですが、その時の親たちの感想が、「始めは、私が何かをしてあげるという気持ちでしたが、遊びが終わる頃には逆に私が癒されていることに気づきました。」という嬉しい感想をいただきました。そして、親子のわらべうたの集まりの後、穏やかに会場を後にされました。集まりの始まる時の不安な落ち着きのない雰囲気ではなく、親子共々、穏やかな雰囲気になられて本当に良かったという思いと、この活動は、社会的にも意味のあることだと気づきました。これから先、子どもが成人するまで、幾たびも困難な時があるでしょうが、この経験があるとないとでは大きな違いがあるのではないでしょうか。
後日、参加者の一人から、排便が困難だったお子さんの便の出がよくなったとメールをいただきました。
こんの場で付け加えますが、参加者にはいつもお伝えしていることですが、私の遊んでいる方法の遊び方のわらべうたでは、代謝が上がるので必ず「水分補給」をしていただきたいです。